何者かを決めず、世界をひらく

吉川 紫葵さんのインタビュー写真

言語学研究・日本語
/和文化教育

吉川 紫葵

REALORIA / INTERVIEW
JOURNEY
Location|Tokyo Interviewer|Takuya

中国料理店で注文を終えたあと、紫葵さんは店員へ中国語で話しかけていた。

特別なことを見せようとした様子はない。相手の言葉に応じて、自然に使える言葉を選んでいるように見えた。

大学で教え、言語を研究し、茶道や和文化を伝える。ときにはモデルや演技の場にも立つ。紫葵さんの活動を並べると、ひとつの肩書きには収まらない。

けれど、話を聞き続けるうちに、それらが別々の道ではないことが見えてきた。

世界の仕組みを知り、そこにある面白さを、目の前の誰かへ渡すこと。

進みたかった道を失い、学校へ行けなくなった時間を経て、彼女は人との出会いに導かれながら、自分なりの方法で世界をひらき続けている。

一座建立の前に

紫葵さんという人の輪郭が見えたのは、取材の終盤に立ち寄った花店でのことだった。

彼女はそこで、茶会に持っていく花を選んでいた。

白い花、細い葉、煙のように広がる草花。見た目だけなら惹かれるものはいくつもある。それでも、彼女はすぐには決めなかった。

茶室に置いたときの大きさ。花の向き。季節。茶花としての意味。一本ずつ手に取り、ときどき少し離れた場所から全体を見る。

迷った末に、茶道を二代目として継いだ、師でもある母へ電話をかけた。

「今、お茶の花を選んでるんやけど、ちょっと見てくれへん?」スマホ画面越しに候補を見せ、母の言葉を聞く。

自分の感覚とは少し違う。

それでも、好みを押し通すことはしなかった。なぜ母はその花を選んだのか。茶花として何が違うのか。短いやり取りの中で考え直し、母の判断を取り入れた。

「私と母では違う。面白いやん。」自分の感覚を捨てたのではない。異なる見方が加わったことを楽しんでいるように見えた。

茶会の準備で考えていたのは、花だけではなかった。

その日の参加予定者は8人。けれど、菓子は10人分を用意していた。

「8人やったら、プラス二つぐらい準備する。落としたりすることもあるし。」土産を買うときにも、一つ余分に選ぶことがあるという。

渡す相手が決まっているわけではない。自分で食べるかもしれないし、予定外に会った誰かへ渡すかもしれない。まだ見えていない相手や、起こるかもしれないことのために、少しだけ多く持っておく。

8人のために10人分を用意する。その準備には、そんな小さな余白があった。


一方で、何もかも事前に確認しようとはしない。茶会の会場にどのような茶碗や道具があるのか、すべてを見せてもらったわけではなかった。

相手が「あります」と言うなら、その言葉を信じる。

「見せてくださいって言ったら、信用してないやんって思うから」

ただし、万が一不足しても困らないように、自分が無理なく持っていけるものは加えておく。信用することと、備えること。どちらか一方ではなく、その二つを同時に行う。

当日、彼女が持ってきた茶道具の一つに、過去の茶人が作った形を写した道具があった。

単なる複製ではない。

同じ寸法の道具を実際に使うことで、「この人は手が大きかったんやな」と感じることもあるという。その人がどう持ち、どう扱っていたのか。そして、何を考えながらその道具と向き合っていたのかまで、想像が広がっていく。

どれを使っても、茶を点てるという機能は果たせる。それでも、その日に誰を迎え、どのような時間にしたいのかによって道具を選ぶ。

何を伝えるのかによって、茶道具も変わる。見た目の好みだけではなく、その道具が持つ背景と、その日に渡したい意味を考える。

花を選ぶときも、道具を選ぶときも、彼女は自分一人の感覚だけで完結させなかった。受け継がれてきた知識を確認し、詳しい人に聞き、そのうえで自分の判断を重ねる。

表に出るのは、一輪の花や一碗の茶だけだ。けれど、その一つが置かれるまでには、まだ見えていない誰かや、起こるかもしれないことまで考える時間がある。

それは、茶会だけで続けていることではなかった。

大学で教えるときも、誰かと話すときも、彼女は持っているものの中から、相手に必要なものを考えて渡そうとしている。

準備とは、自分が失敗しないためだけに行うものではないのかもしれない。まだ見えていない誰かが、その場に自然に入ってこられるよう、少し先まで考えておく。そんな姿勢が、そこにはあった。

露地の先

紫葵さんが最初になりたかったのは、生物の先生だった。小学生の頃、身近には畑があり、植物や生き物がいた。

なぜ植物はどれも緑なのか。

葉緑体が光から栄養をつくると知ると、そこから想像が広がった。

「身体が緑やったら、私も食べなくてよくない? 動かなくていいから、植物は根を張ったんかなって」漫画に出てくる緑色の人物を見て、その身体にも葉緑体があるのではないかと考えたこともある。

それまでぼんやり見えていた景色に焦点が合い、分からなかったことに少しずつ理由が見えてくる。その面白さに、彼女は惹かれていた。

生物の面白さを教えてくれた大人もいた。

ある塾の説明会で、黒い服を着た先生が、スーツの内側からタンポポを取り出した。

「これはタンポポの花です。でも、花じゃないんです」 花びらのように見える一枚を抜き取り、それぞれが一つの花であり、それらが集まって一つのタンポポに見えていると説明した。

見慣れていたはずのタンポポが、急に違うものに見えた。

「やばい、めっちゃ面白いって思った」

そこで残ったのは、植物の知識だけではなかった。世界の見え方が変わる体験そのものが、彼女の中に残った。

生き物の仕組みを通して、誰かに「おもろい」と思ってもらえる先生になりたい。

小学生の頃から、その思いは続いていた。

動物行動学を研究する人の本を読み、この人のところで学びたいと思った。実際に大学まで足を運び、そこで過ごす自分を思い描いた。

なぜ、近くに多くの大学があるのに遠くへ行くのか。彼女にとって、その理由は明確だった。


けれど、進路を決める時期になると、彼女は理系ではなく文系へ進むことになった。なかでも大きかったのは、遠方で一人暮らしをすることへの家族の心配だった。

彼女自身も、今ではその気持ちを理解できるという。

それでも、当時の彼女にとっては、小学生から続いてきた道が突然消えたことに変わりはなかった。文系の中から学部を選ぶよう求められても、行きたい場所は見つからない。

何のために勉強してきたのか。何のために学校へ行くのか。

高校時代、彼女には学校へ行けない時期があった。その時間を、進路だけで説明することはできない。ただ、それまで見えていた世界から、面白さが抜け落ちていたことは確かだった。

やりたいことを持っていたからこそ、それを失ったあと、何を選べばよいのか分からなかった。

周囲からは、ほかにも道があるように見えたかもしれない。けれど、彼女にとっては、どの道も行きたかった場所の代わりにはならなかった。

それでも、完全に生物学から離れたわけではない。生物を学べないなら、別の方法で近づこうとした。閉じたように見えた道の先には、まだ別の入口が残っていた。


中門を越えて

紫葵さんは英語が得意ではなく、試験では何度も赤点を取っていた。教師との関係から、英語そのものを嫌いになった時期もあった。

それでも、高校には一人だけ、受験に直接関係のないことにも付き合ってくれる英語教師がいた。

彼女は英語で書かれた生物学の本を持ち込み、先生と一緒に読み始めた。ほとんど理解できなかったが、失ったと思っていた生物学へ、別の方向から近づけることがうれしかった。

卒業を前に、その英語教師から一つの言葉を受け取った。

「大学に行ったら、この人だと思った教授の扉を叩け」

彼女は英語が苦手なまま、国際系の学部へ進んだ。

大学の入学式で教員たちの紹介を聞いていたとき、一人の先生が気になった。名前や紹介の細部まで覚えていたわけではないが、英語教師からもらった言葉が頭に残っていた。

ただ、すぐに研究室を訪ねたわけではない。顔や名前を覚えることが得意ではなかった彼女は、実際に授業を受けながら、入学式で気になった先生がこの人だったのか確かめていった。

そして、「この人だ」と思えた日に、研究室の扉を叩いた。

最初に口から出たのは、立派な研究への志望ではなかった。

「先生、私、夢がないんです。やりたいことがないんです」

突然訪ねてきた学生に、先生は公務員や大学教員という道を話した。公務員試験の本を開いた彼女は、すぐに自分には違うと思った。

そして、改めて先生へ尋ねた。

「ところで、先生は何をやってるんですか?」

先生が研究していたのは、日本語を学ぶ人が、なぜ特定の間違いをするのかということだった。

間違いをただ直すのではない。その人がどのような規則で言葉を組み立て、なぜその表現を選んだのかを探り、学びにつなげる。

初めから言語学に強い関心があったわけではない。先生の話を聞くうちに、言語学の面白さと、先生の人間性に惹かれていった。先生が大切にしている学問を、自分もきちんと知りたいと思った。


そこで選んだのが中国語だった。先生の研究には、中国語を母語とする人の日本語が関わっており、その選択が、のちに研究へ入るきっかけの一つになった。

将来を見通して選んだわけではない。先生が取り組んでいる学問をもっと知りたいという思いから、少しずつ言語学研究に関わるようになった。研究を続けるうちに、今度は言葉そのものの面白さに引き込まれていった。

先生が話す日本語には、一般的には誤りとされる表現もあった。初めのうちは、そのたびに間違いを指摘していた。

けれど、同じ表現が特定の場面で繰り返されていることに気づいた。間違えているのではなく、強調したいことを前に出すために、あえてその形を選んでいるのではないか。

正しいか、間違いか。それだけでは、その人の言葉を捉えきれない。言葉の形だけでなく、その人が何を伝えようとしているのかを考えるようになった。

中国料理店では、紫葵さんは店員に自然に中国語で話しかけていた。大学で選んだ中国語は、今では日常の中で人とつながるための言葉になっている。


道・学・実

「私にとって言語学は、生物学なんですよ」

紫葵さんは、人間も一つの生き物として、どのように音を使い、意味を共有しているのかを見ていた。

同じ人間でも、地域が変われば使う言葉は変わる。それでも、身体の構造は大きく変わらない。同じ生き物が、なぜ異なる音を使い、互いの考えを伝え合えるのか。その問いを追っていた。

「飛行機がケーキを食べた」は、文法としては間違っていない。

しかし、多くの人は違和感を覚える。では、飛行機に荷物が積み込まれる様子を見て、「飛行機が荷物を食べている」と言ったら、それは本当に間違いなのか。

起きていることは捉えていて、使う言葉だけが違うのかもしれない。

正しいとされる表現にまだたどり着いていなくても、何も理解していないわけではない。言葉を学ぶ人には、その人なりの規則があり、その途中に今の表現がある。

この考え方は、彼女が教えるときの姿勢にもつながっていた。同じ内容でも、目の前の相手によって渡し方を変える。

知識を持っているからといって、いつも全てを出せばよいわけではない。まだ関心を持てていない人へ、一度にすべてを渡せば、ただ分かりにくい授業になる。

最初は相手に合わせて渡し、そこから興味が生まれれば、徐々に増やしていく。強い関心を持って質問する人には、さらに深いものを渡すこともある。

「人によって変わるというより、変えないといけない。変わらないのは柔軟性がないから」

相手に合わせることは、自分の考えを失うことではない。同じものを、相手が受け取れる形へ変えることだった。

目の前の世界がどのような仕組みで成り立っているのかを知り、それを人へ伝える。生物学から言語学へ対象が変わっても、そこには重なるものがあった。


そして今、彼女の関心は、言葉だけでは伝わらないものへ向かっている。

茶道には、手の位置や道具の向き、客との間など、言葉にされないまま受け継がれてきたものが多い。

「語れる言語を引いたら、何が残るのか。非言語をどうやって教えるのか」

茶道を深く知ることと、それを現代の生徒へ伝えることは、必ずしも同じではない。畳の縁を踏んだ生徒を強く注意することにも、全員へ同じ評価を与えることにも、それぞれに、その人が考える「優しさ」がある。

けれど、教える側の思いだけで進めれば、学ぶ側が茶道から離れてしまうこともある。作法を守ることと、学ぶ人を置き去りにしないこと。その二つを、どうつなぐのか。

紫葵さんは、言語学研究と茶道、教育の経験を重ねながら、その問いを考えていた。


茶道を歴史として研究する領域はある。教育を研究する領域もある。けれど、茶道をどのように教え、次の世代へ継承していくのかを、実践と教育の両方から考える場所は、彼女の目にはまだ十分に見えていなかった。

「外側からしか見れない視点もある」

紫葵さんは、茶道だけ、教育だけ、言語学だけの人ではない。一つの領域から見れば外側にいる部分があっても、そこから見える問題があり、複数の領域を知っているからこそ、つなげられるものもある。

進めなかった生物学。人に導かれて始めた言語学。家族から受け継いだ茶道。教育現場で抱いた違和感。それぞれを切り分け、一つだけを残すのではなく、重ねながら考えていた。

躙口

紫葵さんは、出会った人の中に自分にはないものを見つけると、それに惹かれてきた。技術だけではない。考え方や人との接し方、その人の人間性をよいと思えば、近くで見て、自分の中へ取り入れようとした。

そうして、その人が見ている世界を追いかけるうちに、できることが増えていった。

「人間性いいなと思って、吸収しきっちゃって。でも、自分が何をやりたいかはずっと分からないまま来てた」

やがて、ついていきたいと思える人が見つからなくなった。

「ついていきたい人がいなくなっちゃったから、どう生きる?っていうのが一番の問題やった」

神社で巫女として舞っていたとき、その姿を見た人に声をかけられ、モデルや演技の場へつながっていった。それも、初めから目指して始めたものではなかった。

私の才能を見いだしてくれた人が、引っ張ってくれたことで、今までの能力を最大限に生かすことをやり続けた結果、今がある
吉川 紫葵さん


人から吸収してきたことも、人に見いだされてきたことも、受け身だったという一言では説明できない。

声をかけられたあと、その場で何を出すかを決めるのは彼女自身だった。相手が何を求めているのかを考え、自分がそこへ何を出せるのかを考える。

肩書きに対しても、同じ慎重さがあった。自分から名乗ることには、ためらいがある。

自分の活動を表に出すことには怖さがある。けれど、誰にも知られないままでは、自分が持っているものを誰かへ渡す入口が生まれない。

その両方を抱えながら、彼女が口にしたのが「無名の有名」という言葉だった。

巷の無名の有名になりたいですね
吉川 紫葵さん


以前からつながりのある教育者から、紫葵さんへ「会ってほしい人がいる」と連絡があった。

教え子の一人が、自分の考えを周囲へうまく伝えられずにいるという。紫葵さんはその人と会ったこともなく、何を話すのかも分からなかった。それでも、頼まれると引き受けた。

「無名の有名」という言葉は、すでにそんな形で現れていた。

誰かと向き合うとき、紫葵さんは相手の言葉をそのまま肯定するわけではない。意見が違えば、理由を聞く。話を聞いて自分が違っていたと思えば受け入れる。それでも考えが変わらなければ、互いの違いを残したまま話す。

「あなたがそう見えるってことは、私がそう見せてるんかもしれないから、そこは直さないといけない」

「そうじゃない答えがあるなら、それも受け入れてみましょうっていうスタンスを続けてる」

教育実習で学校へ戻ったとき、紫葵さんは、かつての自分と重なるような生徒に出会った。

実習の最後、その生徒からノートを差し出され、「一言書いてください」と頼まれた。彼女は、迷ったら誰かに相談し、話すことが大切だと書いた。書き終えたあと、それが自分自身へ向けた言葉でもあったことに気づいた。

学校では、全体に合わせて授業を進める中で、既存の評価軸からこぼれる人もいる。けれど、自分がその中で、一人ひとりを見る余裕を持ち続けられるかは分からない。

だから、一つの場所に居場所をつくるのではなく、迷った人がいつか自分の前へ現れられるようにしておきたいと話した。

「誰でもコミュニケーションが取れるところを、開いておくこと」彼女が残しておきたいのは、そんな入口だった。

仕え合い

言語学か茶道か。研究か実践か。

紫葵さんは、そのどれか一つに自分を決めようとはしていない。

大学で選んだ中国語は、のちに日本語教育や研究へつながった。家族から受け継いだ茶道も、教育の視点から考えるものになった。

一つを残してほかを手放すのではなく、そのとき自分の中にあるものを持ちながら、次を考えている。

その歩みの中に、紫葵さんが長く慕ってきた恩師がいる。博士課程を終えた頃、恩師も大学を去り、それ以降、直接会う機会はなくなった。

最後に本棚を譲り受けた日、紫葵さんは恩師へ茶を点てた。贈り物を受け取らない人だと知っていたから、飲み終えた先生へ茶碗を渡して言った。

「自分で飲んだお茶碗やから、自分で家に帰って洗ってください」


その恩師へ、一度だけ、長く聞けずにいたことを尋ねたことがある。

言語の仕組みを研究することが、教育に直接役立つとは限らない。その先に何が残るのかも分からない。尊敬してきた人の歩みそのものを否定するように聞こえないか。迷いながら、紫葵さんは口にした。

「先生、何のために研究をやってるんですか?」

恩師は短く答えた。

「趣味です」

あまりにもあっさりした答えだった。「だから、『やりたいことやれ』っていうメッセージだったと思います」

役に立つかどうかを先に決めるのではなく、知りたいから追いかける。その姿を、紫葵さんは恩師から受け取っていた。

「今、これって決めるのは、逆にもったいない」紫葵さんは、自分の仕事を一つに決めていない。そのとき自分が持っているものを、目の前の人へどう渡せるかを考える。

「今日、生きててよかったな、世界ってこんな面白いなって思えるようなきっかけができる仕事なら、何でもいい」

高校時代には、学校へ行けない時期があり、やりたいことを失った時間もあった。今は博士号を取り、大学で教えている。現在の姿だけでは、そこに至るまでの時間は見えにくい。


ここまでの道は、最初から決められていたものではない。人との出会いによって、思いもしなかった場所へつながってきた。

何者かを決めずにいることは、何も選ばないことではない。

世界の仕組みに目を凝らす。知らないことは人に聞く。受け継いだものを、次の人へ届く形に考え直す。自分とは違う意見にも耳を傾け、目の前の人に、自分が持っているものを差し出す。

場所や肩書きが変わっても、紫葵さんはそうした選択を繰り返してきた。

一つの名前だけで自分を決めないからこそ、まだ出会っていない人や、まだ知らないものが入ってくる余地が残る。

何者かを決めず、自分を開いておく。これまで受け取ってきた世界の面白さを、次に出会う誰かへ返しながら、その先を考えていく。

編集後記

一つに決めないことは、何も選ばないことではありません。紫葵さんの話をたどるほど、その違いが少しずつ見えてきました。

生物学へ進みたかった時間があり、人との出会いから言語学を知り、家族から受け継いだ茶道と向き合ってきました。誰かの中に面白いものを見つければ近づき、自分にできることを少しずつ増やしてきたのだと思います。

取材を始めた頃は、研究、教育、茶道、博士Barと、それぞれの活動をどう一つの記事につなげればよいのか考えていました。

けれど、話を聞き終える頃には、無理に一つへまとめなくてもよいのだと思うようになりました。

何者かを決めることより、そのとき目の前にいる人や、まだ知らない世界に対して、自分を閉じないこと。紫葵さんのこれからには、まだ名前のついていないものが入ってくる余地が残っているように感じます。