流れのまま、選び続ける

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流れのまま、選び続ける

REALORIA / Interview
JOURNEY
Location|Tokyo Interviewer|Takuya

ミルノ純さんと話していると、不思議と会話の奥へ引き込まれていく。よく笑い、相手の言葉を受け止めながら、力まず返していく。その空気はやわらかい。けれど、対話を重ねるほど、そのやわらかさがただ穏やかなだけのものではないことも見えてくる。女優として活動し、声優としても仕事をしてきて、今は自分の会社で制作も担う。いくつもの顔を持ちながら、どこか無理がない。話をたどっていくうちに見えてきたのは、流れの中で何度も自分の立ち方を選び直してきた、ひとりのしなやかな生き方だった。

初舞台から

ミルノ純さんのはじまりは、九歳の時だった。思っていたよりずっと早いところに、その原点があった。

九歳の時、ミュージカル『アニー』の地方オーディションが初めて行われた。2万人弱の応募者の中から24人が選ばれ、大阪で選ばれた一人として舞台に立った。東京に三か月だけ住み、稽古をし、東京公演と大阪公演を終えて、また元の生活へ戻る。小学校三年生の時に、そんな一年を過ごしていたという。

その経験を、純さんは「楽しかった」と話してくれた。同時に「苦しいことの方が多かった」とも話していた。演出家は超スパルタ。今振り返れば、ずぶの素人を短期間で「お金を取れる役者」にするには、それくらいの厳しさが必要だったのだろうと、笑いながら話してくれた。

この話を聞いた時、純さんの今の穏やかさと、その最初に通った厳しい現場の温度差が印象に残った。きっと、純さんのやわらかさは、最初から守られて育った人のものではない。一度きつい場所を通り、その中で立ち方を覚えてきた人のやわらかさなのだろう。


その後は、そのまま一直線に芸能の世界へ進んだわけではなかった。

本人の言葉を借りれば、当時住んでいた「ど田舎」の環境では、そのまま芸能活動を続ける現実的な導線がなかった。そのため、しばらくは普通に生活していた。高校では演劇部に入ったけれど、その時点ではあくまで趣味としてやるつもりだったらしい。

むしろその頃、本気で目指していたのは演劇とは全く関係のない臨床検査技師だった。

純さんは理系でかなり勉強していた。血液や生物が好きで、医療系へ進みたいと思っていたという。けれど、家庭の事情で本当に行きたかった大学は受験させてもらえなかった。そこで、半ば記念受験のように受けたのが大阪芸大の演劇コース。もう浪人するつもりだったから、好きなことだけやって試験を受けた。シェイクスピアの台詞を言い、少し踊って、面接を受けて終わる。そのくらいの距離感で受けた試験だったのに、合格してしまった。

純さん自身は浪人するつもりだったが、親に泣きながら土下座され「行ってくれ」と頼まれ、進学することになった。自分で選び取ったというより、半ば流れに背中を押されるように決まった進学だった。

でも、そこで終わらせなかったのが純さんらしい。

「これ以上文句を言わせたくない」と本気で頑張り、首席で卒業した。「もう文句ないでしょ」と言える地点まで、自分の力で持っていった。その言葉には、静かな反骨心のようなものがあった。けれど、後になって振り返ると、自分は親に喜んでもらうために頑張っていたのだと気づいたという。そうして手にした結果も、思っていたほど親の喜びにはつながっていなかった。

最初から一つの夢を迷わず追いかけてきた人ではない。別の道を本気で見ていて、進むはずではなかった道に押し出され、その中で自分の立ち方を作り直してきた人。純さんの柔軟さの根には、最初から一本道ではなかった人生そのものがあるのだろう。

やっぱりそういう縁みたいなのがあるんですよね
ミルノ純さん

見られ方の圧

大学を卒業してから、純さんは声の仕事の世界へ入っていく。その入口は、最初から歓迎されるものではなかった。

養成所に入った時、周囲は十八、十九歳くらいが多かった。純さんは大学を出てからだったので、二十二、三歳。その数年の差は、当時かなり大きかったらしい。社長から「もう大卒だろ、売れねえよ」みたいなことを言われたこともあった。東京に出てきて、臨床検査技師にもなれなくて、役者としても先が見えない。そういう時期に、その言葉はかなりきつかったはずだ。

それでも純さんは、離れなかった。

デビューしたばかりの頃は、自分の芝居の下手さに自分で驚いたとも話していた。けれど、現場を重ねながら仕事を続けていく。やがて、個人の努力だけではどうにもならない業界の構造にも触れるようになる。

純さんがいた当時の声優業界は、かなり閉じた世界だったらしい。個人というより、事務所単位で見られる。新しい事務所は疎まれやすく、先輩が何かをしていれば、その所属だからという目で見られる。本人の問題ではなく、所属先の色で判断される。そういう圧を、純さんはかなり強く感じていたようだった。

それまで笑って話していた表情が、一瞬曇った。そのわずかな変化から、純さんにとってその世界が息苦しいものだったことがうかがえた。

高校卒業後すぐ養成所に入り、そのままデビューする人が多い世界だった。だから社会人経験のない人も多く、一般社会の感覚や、別の視点を持っていることが、必ずしも歓迎されるわけではなかった。純さんはその閉鎖性に、かなり違和感を抱いていたように見える。


その後、純さんは吹き替えを軸にした事務所へ移る。

英語が好きだったし、映画の吹き替えはきっと自分に向いている、という根拠のない自信があったとも話していた。そこから長い時間、その事務所で仕事を続けることになる。ここで大事なのは、純さんが「向いていないから辞めた」のではないということだ。

むしろ、かなり本気で続けていた。仲間もいたし、事務所が嫌いだったわけでもない。けれど最後には心が折れた。プロとして品質を担保できないと思った。その時、「辞めるなら声優を辞める時だろう」と、自分でも周囲にも言っていたという。

その判断には、純さんの誠実さがよく出ている。

何となく続けることもできたはずだ。けれど、それをしなかった。続けること自体より、自分がどんな状態でそこに立つかを大事にしていたのだと思う。

同時に、声の世界で経験したことは、今の「見られ方」の悩みにもつながっている。

今、純さんは女優として別の事務所に所属している。女優として見せることもできる。けれど、今いるファンの多くは、純さんのことをずっと「声優」だと思っている。テレビドラマに出ても、その人たちの中では声優であり続ける。ライブには来てくれるのに、芝居には来てくれない人もいる。最初に見た印象は、基本的には変わらない。だから今の自分をどう見せたいかと聞かれても、「そこは分からない」と言うしかないのだろう。

人は変わる。仕事の比重も変わる。けれど、他人の中の像はすぐには更新されない。そのずれの中で今の自分をどう置いていくかを、純さんは今も考え続けているのだと思う。

折れた日の先

純さんは、これまでの人生で「全部を投げ出したい」と思った瞬間は二つあったと話していた。

一つは、声優を辞めた時。もう一つは、母親が亡くなった時。この二つだけは、本当に大きかったのだという。

この話を、彼女は必要以上に重たく語らなかった。だからこそ、その重さが伝わってくる。

母親が亡くなった時、純さんはかなり揺れた。その後、少し時間が経ってから、家族の中でも大きな揺れが続いた。家庭の中に強いストレスが流れ、日常そのものが揺れた時期だったことが伝わってくる。

そうした時間もまた、今の純さんにつながっているのだと思う。仕事だけではなく、家族の中で起きた大きな出来事も、彼女の考え方や生き方に確実に影響している。だから純さんのしなやかさは、単なる器用さではない。喪失や揺れを通ってきた人のしなやかさなのだと思う。


それでも純さんは、全部を悲壮感でまとめない。

それ以外にも壁はあった。キャスト変更のこと、歌がうまくいかなかったこと、社会に出てからぶつかったさまざまな出来事。けれど「辞めたい」とまではいかなかった。仕事は仕事と思って引き受けてきたし、現場では現場の引き受け方がある。台本の枚数を「札束だ」と思って納得したこともあったし、自分の作品の売上が事務所スタッフの給料になるのだと思えば頑張れたこともあったらしい。

この言葉には、夢だけでは続かない世界を通ってきた人の実感がある。お金が必要だということをきれいごとにしない。でも、お金だけでもない。その二つを同時に持っているところに、純さんの言葉の厚みがある。

奥にある強さ

純さんの人物像が一気に立体的になったのは、大好きなロックの話と、「中身はゴリゴリのヤンキーなんで」と笑っていた瞬間だった。

仕事の周りでは、柔らかい雰囲気が好きなファンが多い。だから自分がめちゃくちゃロック好きですと言っても、みんなぽかんとするらしい。オアシス、ボン・ジョヴィ、フーバスタンク、K-POP。外から見える雰囲気と、本人が本当に好きなものとの間には、少し面白いずれがある。しかも純さん自身、そのギャップをちゃんと自覚していて、「そのイメージを出したいんだけどな」とも話していた。

さらに、昔はかなりやんちゃだったとも話していた。

男性と対等に喧嘩しようとする節があったとか、ギャルっぽい時期もあったとか、今の穏やかな見え方からは少し想像しづらい話が続く。今は平和主義だし、基本は穏やかにいきたい。けれど、相手が舐めてかかってくる時には、そこに少しだけヤンキーの片鱗を出して黙らせることもあるらしい。笑っていたのに急に「あ?」と返すような、その切り替えができるのだという。

この話を聞いていて、純さんのやわらかさの意味が少し分かった気がした。それは、強さのない人の穏やかさではない。自分の中に別の強さがあることを知ったうえで、普段はそれを前に出さないと決めている人の穏やかさなのだと思う。


そのことは、人を見る感覚の話にもつながっていた。

彼女は、自分は「見抜く方です」とはっきり言う。耳がめちゃくちゃいいので、相手の声で分かることがある。嘘をついているとか、利用しようとしているとか、そういう違和感も割とすぐ分かる。目や表情の変化も見逃さない。思い過ごしでもいいから、警戒しておくに越したことはないとも話していた。

さらに印象的だったのは、相手の声から「この人はかなり苦労してきたんだろうな」という音がする、と話していたことだ。音は、単なる声質ではなく、その人が通ってきたものまで含んでいると話していた。彼女は、人を表情だけで見るのではなく、音や空気ごと受け取っているのだろう。

外からはやわらかく、親しみやすく見える。けれど、その奥には、人を見抜く耳も、必要な時だけ前に出る強さもある。純さんの魅力は、その二層性にあるのだと思う。

流れの先へ

今の純さんは、自分の会社で制作をしながら、女優の仕事も続けている。でも「社長」という肩書きに対して、いかにも社長らしい構えはほとんどない。

自分で社長になるなんて思ってもいなかった。流れでそうなっただけだと、純さんは言う。

もちろん、責任を軽く見ているわけではない。むしろ、地に足のついた泥臭さでやっている。キャッシュフローのこと、税金のこと、帳簿のこと、自分の会社だから全部が自分に返ってくる。役員報酬はまだゼロ。従業員は実質二人。会社もまだ立ち上がって間もない。売上を立てるにはどうしたらいいかを、今まさに体で覚えている最中だという。

それでも、今がいちばん楽しいと言える。そこがとても大きい。

やってて楽しいのは、今ですね
ミルノ純さん


会社は、もともと自分のボイスコンテンツを作るところから始まった。

もう一人の女性が別会社を経営していて、自分の持っているボイスコンテンツを形にしたい。けれど自分は音楽畑だから芝居のことが分からない。しかもディレクターも抜けてしまった。そこで「一緒にやりませんか」と声をかけられ、「面白そうなんで、やります」と入っていく。そこから会社を立ち上げ、最初はボイスコンテンツを作り、やがて研究系のキャスティングやオーディオブックなどの仕事が少しずつ入ってくるようになった。

以前はアルバイト先にシフトのことで謝らなければいけなかった。今は自分の会社だから、もちろん納期や逆算は必要だけれど、誰かに頭を下げる種類のストレスは減った。働いている時間だけ見れば、前より多いかもしれない。それでも「変なストレスがない」と言える。その意味では、今の方がずっと自由なのだと思う。

ここに純さん自身の、「八割で立つ」という感覚が通っている。全部を自分で抱えて100でやり切ることではなく、続けられる形で立つこと。必要な時には人に頼ること。できることとできないことを知っておくこと。

純さんが言う「助けてってカジュアルに言えるようになった」は、単なる処世術ではなく、今の生き方の中心にある感覚なのだろう。

その感覚の背景には、コロナ禍に深めたヨガの存在もある。純さんは、ヨガを突き詰めていくと、お芝居とも人間ともつながっていったと話していた。体を柔らかくするためのものではなく、人間とはどういうものかを探っていくもの。その理解が、自分の中で点と点をつなげたのだという。芝居は難しいものではなく、人間の基本に沿っていけば成立するものだと思えた時、純さんの中で芝居の見え方も大きく変わった。

幸せのかたち

未来の話になると、純さんは大きな理想論を語る人ではなかった。その代わり、かなり具体的な願いをいくつも持っている。

韓国や台湾のゲーム系イベントに、自分が制作したものを出展したい。海外のクリエイターを起用したい。映画の現場にも入りたいし、テレビドラマでセリフのある役もまたやりたい。どれも夢物語ではない。年内には久しぶりに舞台へ出る予定もある。そのすべてが、現実の延長として語られていた。

印象的だったのは、「自分がやりたいなって思ってきたことを、ある程度叶えちゃってるんですよ」という言葉だった。

もっと上へ、もっと大きく、という切迫感ではない。やりたかったことが一つずつ叶ってきた。その先をまた探している。だから「次どうしようかな」と言える。満たされているから止まるのではなく、満たされているからこそ急がない。そこに、純さんの未来の明るさがあるように思えた。

Q: 将来どうありたいですか?
幸せに生きていければいいなぁ
ミルノ純さん

その「幸せ」は、ただ穏やかに暮らすことではない。自分がやりたいと思ったことを、やれること。韓国へ行きたいと思った時に行けること。イベントに出したいと思った時に出せること。やりたいを、実行に移せる力を持っていること。彼女にとっての幸せは、かなり具体的だ。

やりたかったことを振り返ると、すでに実現しているものも少なくない。だから今は、「何が足りないか」より、「今あるものをどう生きるか」の方へ重心が移っている。

純さんは、人生を強く握りしめようとはしていないのかもしれない。けれど、何も考えずに流されているわけでもない。縁が来たら受け取り、できることはやる。できないことはちゃんと頼る。しんどい時には、自分が立てる形に整え直す。そうやって、八割くらいの力で立ちながら、必要な時にはちゃんと前に出る。その感覚のまま、また次の場所を選んでいくのだと思う。

純さんはこれからも、流れの中にいながら、自分の感覚で次の場所を選び続けていくのだと思う。

編集後記

純さんの話を聞いていて印象に残ったのは、無理に何かをつかみにいくのではなく、流れの中で必要なものを受け取りながら、自分の立ち方を少しずつ選んできたことでした。そのやわらかさの奥にある強さが、これから先の景色にも静かにつながっていくのだと思います。